リンモア の素晴らしいところ 〜集会〜
最近全然ブログを書きませんでした…
反省…
でも気を取り直して今日、書こう!
はて、題名は「リンモア の素晴らしいところ」ですがどこから始めましょうか…
リンモア とはNZにあるロトルアにあるリンモア にあるリンモア プライマリースクールのことを言っているのである。
あっこれ説明だった。
そうですねぇ。
まずコミュニティ。(集会)
素晴らしいことといえば何かある前に歌を歌うことですかね。
こうなんか… 気持ちを落ち着けるためっていうか…
みんなの中で人気なのは「shut gun」
gun(鉄砲)って…なんか怖い気がするけど、楽しげな音楽ですよ。
ホールで集会はやるんですけど素晴らしいところは歌詞が映し出されるとこ!(←そこ?!)
音楽が終わった後はどこかのクラスが劇をやって、でまた違う音楽〜
次に校長先生からの今週のプリンシパルアワード。
このアワードは一週間で一番頑張った人がクラスの中で1人、一週間ごとに発表されるやつ。
先生が「せっかくレッドカーペットがあるんだから踊ったり、あなたたちの特技を見せてね」というからプリンシパルアワードに選ばれた人たちはドキドキのワクワク。
ある時なんか、逆立ちして歩いてた人いたからこっちが冷や汗かいちゃった。
その次は誰かからのパフォーマンス。
始まりは校長先生が「毎週の集会に、誰かパフォーマンスしたい人がいればいつでも言ってね!」と言ったこと。
こっちの子はそうゆうのにものすごくノリがいいから、毎週、10枚くらいパフォーマンスしたいという手紙をもらうそう。
校長先生も大変だなぁ。
あ、そうだ!
集会が始まる前に国家を歌うのです。
私も最初はこれを校歌だと思ってたけど。
NZの国家は素晴らしすぎるくらい美しいです。
日本の国家も短いのに美しいです。
それにあの国もこの国も…
と、親から夜ご飯に呼ばれてしまいました。
続きはまた今度。
多分今度は授業編かな。
では、さようなら!
今週のマフティデイ:大好きな本の登場人物のコスチューム
注意:毎回、私の口調がブログで変わっているのにお許しください。
心のいただきます
今日は私の学校にある小さな森に住み着いた在来種の鳥を殺すポッサムやネズミなどを殺す機械を昨日、とりつけたので、それをクラスのみんなで見に行きました。
森に入った途端、最初に聞こえたのは子供の嬉しそうな声。
「ポッサムだ!ポッサムだよ!おっきいポッサムがかかっているよ!」
頭を機械に挟まれて死んでいるポッサムの姿はあまりにも無残でした。
でもその時の私の心の中は哀れみではなく、興味心と喜びだけでした。
もちろん他の子供達も。
でもある子の声でみんなの目に涙がたまりました。
「赤ちゃんがいる!息をしているよ!」
赤ちゃんは、お腹が引き裂かれているお母さんのお腹で息も絶え絶えの呼吸していました。
そして赤ちゃんは、息を引き取りました。
こっちを向いた先生の無理に笑おうとしている目の中には涙でいっぱいでした。
ある数人を除いては、みんな、服で涙を拭って、涙を隠そうとしていました。
もう一つの罠にも、二つの拳くらいのネズミが機械に潰されて息を絶やしていました。
みんながクラスに戻った時、先生は言いました。
「*writingとはとてもいいものです。今の気持ちをそのまま移しましょう。本当の気持ちを伝えましょう。あそこで何があったか、今、どういう気持ちかを簡潔に書きましょう。ある人は悲しい気持ちかもしれません、ある人は嬉しい気持ちかもしれません。あなたの本当の気持ちを後残った30分で書きましょう。」
みんな静かにノートに向かっていました。
聞こえるのは泣き声と、ペンがノートをかする声。
私の作文はこれです。→
作文が終わった時、先生が言いました。
「見にきたければ、あなたたちはポッサムの皮剥ぎを見ることができます。もし行きたければ親に連絡して、承知してもらってからにしなさい。」
私は、悲しみに包まれていて、死体を見る気持ちがなかったので、やめましたが、皮剥から帰ってきた人たちの目は真剣の瞳でした。
きっと人生で一回しかできない体験だったでしょう。
私はふと思いました。
いただきますの本当の意味を。
今日、ポッサムとネズミを見てわかりました。
人間はなんて傲慢なんだろうと。
野菜も肉も魚も、全て命。
野菜ではない、肉ではない、魚ではない、全て命です。
どんなに小さくても大きな命です。
今日の夜ご飯、私は本当にいただきますを言いました。
本当の気持ちで心の中で理解して。
月曜日、気が変わって、私は先生に皮剥のビデオを見せてもらうかもしれません。
でもただ一つ決めているのは、私のクラスに、私の思ったことの紙芝居を作って、披露するつもりだということ。
今日、いうのはこれだけです。
聞いてくれてありがとう。
*writing=作文?
フィッシュ!♬フィッシュ!♫フィッシュ!♩
さて。
魚が欲しい〜という事で魚を釣りに来ました〜(←ウワッ簡潔!)
前の前のブログのラッセルとパイヒアの続きとパパモアの魚たちを紹介しまーす。
パイヒアでの収穫♡タイと謎の魚。知っている人いたら教えてね!
アジ♡小さいけれどアジは抜群!
とれたてのカツオ!NZでは買えない(多分)貴重物!
パパモアの収穫です!(あ、待ってタウランガかも)釣った後はすぐ大きい氷と一緒に♡
カサゴ♡なんか物語に出てくる魚みたい。(悪役のさ、)
的鯛♡英語ではジョンドーリー!お腹のとこにある点が的みたいだからだって!
収穫♡カツオも立派だし、赤鯛もりっぱだし…🤤
カツオ♡カツオ♡カツオのダンス♡ズンチャカズンチャカ♡
さばいて〜ハイ終わり!
ご飯の時間ですよー
うわっ豪華!
刺身♡もう、寿司屋の刺し身みたい♡
ちょっと怖いけどカサゴです。煮付け。(美味しすぎる…)
的鯛の肝と的鯛。ちょっこっと肝を乗せて食べると最高!(あっ、今、気持ち悪いって思ったでしょ)みてるだけでよだれが出てくる写真ですよねー
というわけで、ご馳走さま!美味しかった〜魚って飽きないよね。(あっ、飽きる人いるの?!)おやすみなさい⭐⭐⭐
今日の絵というか写真猫の絵を描いてます。しかも木の板に。本格的♡ 出来上がり→うわっ、私すごーい!(アホ)今日の名言というか思ったことというか知ったこと
名言ってメイゲンなんだ←ずっとメイゴンと言ってた
森のワンダーランド
最近森を歩いていて、森に感動しました。詩でもない歌でもないものをお楽しみください。
森のワンダーランド
鳥がさえずり木は歌い湖は踊って歓迎してる
緑と茶色だけじゃあない
赤青黄色
色とりどりのお花と葉
まるで自分が一番とでもいうように
綺麗に服を飾っている
新しい世界に誘うように静かな風が髪を通り抜ける
思わず後ろを振り向くと
眼に映るのは
森のワンダーランド
両手を広げて息を吸い
耳を少し済ましてみれば
森の息ずかいが聞こえてくる
目をつぶり
進んでみると
ファンテールの歌声が
風に乗って聞こえてくる
森のワンダーランド
聖なる場所
ありがとうございます。
こんな貴重な森を、今もブルドーザーで倒しているのを考えると辛いですよね。NZだけでも本当の自然を残してくれればと思います。
ニュージーランドの一番最初に首都になった街「ラッセル」
今日はラッセルにきてまーす!
ラッセルっていうのはNZの一番端にある街で可愛らしいの、もうとにかく。
私の泊まっているホテルの前、絶景… ちょっと冷や汗が…(たら〜)
さて、昨日はイルカウォッチングに行ってきました!!!イェーイ!!!
四時間のツアーで本当にイルカとアザラシと遭難した人見た!
遭難したっていうのは冗談だけどアザラシがいる岩の上で釣り人が五人くらい手を降ってたな〜
本当に感動しちゃった!
だって本当のイルカだよ!
イルカ!
本当の!
、
感動したー
家族でキャーキャー行ってたな。
夜ご飯はツアーのご飯で。
でさ、今更ながら思ったけれどもカモメって本当に怖いね。
普通にご飯食べてる時とかも目がいかにも攻撃体制で身構えてるの。
そして誰もいなくなった隙にとりゃ〜っと10羽くらいで団体攻撃〜
いや本当に怖いから。
カモメって本当に嫌い…
海の真ん中にいるカモメは海の魚を食べるんだけど、お店の近くのカモメは明らかに肉食。
手のひらくらいのハンバーグを持ってっちゃうから。(1羽だけで)
弟と父が魚釣りに行ったらしいんだけど小さい魚7匹釣って来た。
綺麗だね。
あっそうだ。
ツアーで夕焼けとよくわかんない島とか絶景(大人にとってはキャーキャーいうものらしい)とかなぜかエイも見た。
ほんっとすっばらしいよね。
なんていうか締めくくりがさ
このっ!こんな感じでこういう風に!←???
じゃっ
おやすみっ!
今日のわたくしの名言
朝も昼も夜もフィッシュ&チップス
朝も昼も夜もアイスクリーム
そりゃ豚になるよな🐷
皆様へ
私のおじいちゃんが神様へお支えに空へ登りました。知らせを聞いた時は本当にショックだったけれどおじいちゃんの遺言が「(名前)は本当に芸術の才能があるからそのまま花を少しずつ開いていってね。」だったのであまり悲しまないようにして今日も絵を描いたりしおりを作ったりして(もちろん、学校行ってるよ)毎日を過ごしております。私は「僕が消えないうちに」という本を何度も読んで涙を流しました。この本の文章の中で私の最も感動した文章は「ラジャーは公園にひざをついて丈わりの草や木を見まわした。小鳥がさえずっている、リスが1匹、小道をはねてきて、芝生に入っていく。ラジャーのほうを見ようともせずに。どうして、こんなに緑でいっぱいなんだろう?んだろう?アマンダが死んだというのに。どうして、こんなに生き生きしているえおそろしい質問には、おそろしい答えしか返ってこない。たったひとりの女の子が死んだって、この世界はちっとも変わらないんだよ。アマンダの死はラジャーを引きさき、アマンダのママをめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。けれど、この町も、この世界も、変わりはしない。」この文章を見て何度も泣きました。たった一人が死んだって世界は変わらないんだと。でもこうも思いました。世界に愛されなくても世界中の愛より大きい愛を抱えている人が数人いるだけでそれは本当に幸せなことだ、と。だから今日もここまで頑張ってこれたんです。おばあちゃんもお母さんも私も私の家族も、私の従兄弟もおじいちゃんを愛していました。とてつもなく大きい愛で。だから悲しまなくていいと思うのです。最後までおじいちゃんはたくさんの大きい愛を抱えていたことでしょう。わたしの好きな本の中でもう一つ、「わすれられないおくりもの」この本は有名で感動の物語です。絵本の中のアナグマさんは死ぬ時の感覚をこう感じています「おどろいたことに、アナグマは走っているのです。目の前には、どこまでも続く長いトンネル。足はしっかりとして力強く、もう、 杖もいりません。からだはすばやく動くし、トンネルを行けば行くほど、どんどんはやく走れます。とうとう、ふっと地めんから、うきあがったような気がしました。まるで、からだが、なくなってしまったようなのです。アナグマは、すっかりに自由になったと感じました」おじいちゃんもそいう感覚がしたのでしょうか。そうだとしたらおじいちゃんは心配しないでというようです。死ぬ前の苦しい病気からやっと逃れられて幸せだったかもしれません。この本は死んでしまったアナグマさんは見には見えないけれどみんな心のいろいろな贈り物(思い出)をもらっていたので寂しくないという話です。まったくその通り。おじいちゃんは私たちにたくさん思い出をくれました。アルバムにもたくさん写真が入っています。つまりおじいちゃんは見えない存在ではあるけれども心の中でずーっと生き続けているのです。ママがこうも言ってました。「おじいちゃんは体がなくて軽くなったの。だから前までは大変だったNZへ来るのもひとっ飛びでこれるかもしれない。なにか自信を無くした時、おじいちゃんはずっと私たちのそばに寄り添ってくれているのよ」本当にそのとうりです。わたしはこのひからあまり悲しまないようになりました。おじいちゃんは心でいつでも応援してくれているから。
ママの英語の先生からの花です。
今日のアート 「しおり」
おじいちゃんへ
おじいちゃんいつもありがとう。私はおじいちゃんとの思い出をたくさん作りました。私が生まれてすぐからそして今まで、おじいちゃんにはとてもお世話になった。今、昔の写真を見返して自然と涙が出てきました。本当にありがとう。NZにも来てくれてありがとう。私がふざけたとき笑ってくれ、私が何かをすると褒めてくれて本当にありがとう。いろんな思い出をたくさん作ってしまったから今は涙が絶えません。心の中に大きな空間ができました。そしてその空間を埋めるように昔のアルバムを見返して琵琶湖にも負けないような量の涙を流しました。本当に私はおじいちゃんがいて幸せです。今ふと私はこう思いました。おじいちゃんが生きているだけで幸せなんだと。おじいちゃんが私を作りました。いいえ、あなたがいなくても私はいたでしょう。でも今の私はいなかった。あなたはほんの少しだけだとおもでしょう。でもほんの少しでもなくては今の私はなかった。例えばそれは小さな湖にひとすくいの水がなければ湖ではありますがその湖ではないでしょう。そのような感じです。もう一度言いますが本当にありがとう。私は幸せです。
覚えておいてください。私はおじいちゃんのことが大大大好きです。
私はあなたに二つの言葉を送ります。
ありがとう そして 大好きだよ